#. シナリオはダンジョン?

唐突な名前の章になっていますから、私が何を言おうとしているのか 分からないという人もいることと思います。 が、まぁ、ちょっと付き合ってください。

古典的なシナリオでは (古典的というのは、悪い意味ではありませんよ。 いわば「王道」と言い換えることもできるほうの意味での「古典的」です)、 シナリオやセッションの舞台はダンジョンの中です。 つまりダンジョン探索シナリオですね。 これに対するものとして、シティー・アドベンチャーという形式の シナリオが有ります。

現在のシナリオは物語性が強く求められており (あるいはそう言われていたり、 そういう傾向が有ったり)、 シナリオ内にダンジョンが現われない場合も多くなっていますし、 また現われたとしてもダンジョン自体は以前のものに比べると 非常に単純なもので、かつトラップもかなり甘いものになっています (まぁ、言いかたを換えれば、以前はかなり悪どいトラップが横行していたとも 言えますが...)。 しかし、本当にシナリオからダンジョンが消えていっているのでしょうか? ダンジョン探索とシティー・アドベンチャーはそんなに違うものでしょうか?

ここで、やっと言いたいことが言える準備ができました。 結局はダンジョンも街も島も大陸も、建物もサイバー・スペースも宇宙も全て、 ダンジョンだと思うのです。 それどころか、そもそもシナリオ自体がダンジョンなのではないかと思うのです。

まず、『ダンジョンも街も島も大陸も、建物もサイバー・スペースも宇宙も全て、 ダンジョンだ』というほうから 考えていきましょう。

で、とりあえず、何らかの構築物、早い話、何らかの建物も ダンジョンであるということを言いましょう。 まずダンジョン探索の対象となるダンジョンは、 大まかに言えば、通路と部屋からなっています (それに附属して扉とかも 有りますけどね)。 この点で見るとダンジョンも何らかの建物も同じなわけです。 倉庫のような広い空間の場合でも、実際には物が置かれていたりして、 通路とそれ以外の多少広い場所 (部屋と言って良いでしょう)から 構成されていることになります。 しかも、ダンジョン探索の対象となるダンジョンは、PCの目に見える形で 行動を制約しますが、何らかの建物も、通路の脇には壁が有るなどの形で PCの目に見える形でPCの行動を制約します。 つまり、まず、ダンジョンと建物は同じものであると考えられるわけです。

次に、サイバー・スペースってものを考えてみましょう。 これは、いわば仮想的もしくは電子的な人工空間であるというだけで、 一種の建物と見なせるでしょう。 例えば、ディレクトリ (というよりもパスかな) とファイルという 形で見ると、あるディレクトリやファイルに至るパスというのは、 その名の通り一種の通路と見なせますし、ファイルやディレクトリは 部屋と考えることができるでしょう。 あるいは WWW なんかでも同じことですね。 これで、サイバー・スペースもダンジョンだと考えられることは分かって くれたと思います。 で、サイバー・スペースというのは非常に広大な空間なわけで (現在の WWW リンクで構築される空間は、実際にとんでもなく広大なものになっていますね)、 まぁ建物やダンジョンとの根本的な違いを挙げるとすれば、 サイバー・スペースはいわばオープン・スペースのように思えるという点でしょう。 この点で、次に述べる街の場合と重なります。

街の場合になると、建物の場合よりも自由度が挙がるような 気がするかもしれませんが、それは決してダンジョンと異なることを意味している わけではありません。 街の場合、PCにとって目に見える形での制約はダンジョンや建物にくらべて かなり減ります。 しかし、実質的に町の中でできることしかできないし、 また町の中に何万戸の家が有ろうとも実際にPCが行くことが有るのは 1回のシナリオ中では非常に数が限られるわけです。 もちろんシナリオ上では意味の無い家にも行けますが、 そんなところに行ったってGMからは何の情報も得られません。 これは行動としてはダンジョンの壁に向かって歩こうとするというのと 同じことであって、GMの対応は見かけ上違っているように見えますが 本質においては「そっち行けない」と答えるのと同じことなのです。 つまり、町では目には見えないもののダンジョンと同じ制約がそのまま 存在しているのです (実際には、マスタリング・テクニックとしてそのあたりは いくらか融通が効きますが)。 というわけで、結局は街もダンジョンと本質的には同じだということが 分かってもらえたと思います。

では、街よりも大きい、島や国や大陸、そして宇宙はどうでしょうか。 これは、おそらく建物やダンジョン探索の対象であるダンジョンにも 当てはまることだと思いますが、いわば重層化したダンジョンだととらえれば 分かりやすいと思います。 つまり、国という視点から見れば、その中の街が一種の部屋であり 街道が一種の通路に対応するダンジョンであると見なせます。 で、その街道の脇やあるいは街そのものも、一種のダンジョンであり、 そのなかの建物もまた一種のダンジョンであり、 例えばその建物が何階立てかの建物だとすればその一階づつがまた ダンジョンであり.....と考えられるわけです。

で、上の方を見れば、国を下位のダンジョンとする大陸が有り、 また国や大陸を下位のダンジョンとする惑星が有り、 1つの惑星を下位のダンジョンとする恒星系が有り、 1つの恒星系を下位のダンジョンとする銀河系 (おっと、急に 大きくしすぎたか...) が有り、 1つの銀河系を下位のダンジョンとする宇宙の構造体が有り、 そのさらに上位として宇宙が有るわけです。 さらに広げるとすれば、その宇宙を下位のダンジョンとするパラレル・ワールドが 有ったり、あるいはある時間線を下位のダンジョンとするタイム・トラベル的な 世界が考えられます。

というあたりで、えと、「世界はダンジョンだ」という私の主張は 受け入れられてもらえたでしょうか? もしかしたら、これを 「1.0000 〜 1.0001 〜 1.0002 〜 ......... 〜 100,000,000」 ってな話と同じに感じます? でもここでは、あくまで「その本質としては」という話ですから、 「1.0000 〜 1.0001 〜 1.0002 〜 ......... 〜 100,000,000」 の例で言えば、「これらはみな数である」ってことを 言っているのと同じことだと思ってください。

さて、では問題の、「シナリオもダンジョンである」という話に 移りましょう。

まず、シナリオは何らかの形での場所を舞台にしています。 別の言いかたをすれば、シナリオの構成要素であるシーンは、 だいたいにおいて場所に縛りつけられていると言っても良いでしょう (【本論の前に】の [シーンとイベント]を参照)。 とするならば、シナリオは場所の集合であると言えるでしょう。 しかも、そのシナリオの進展の方向、あるいは移動可能な場所の間には 何らかのリンクが有ります。そのリンクは通路という具体物でもあり、 また例えば因果関係のような一種の論理的というか抽象物でも有りますが、 ともかく場所を繋ぐ通路も有るわけです。

セッションにおいてシナリオからPCが外れようとした場合、 つまりシナリオというダンジョンの通路から外れようとした場合、 うまいGMならばPCにそれと気づかせずに、もとの通路に戻したり、 あるいはシーンの内容を変更したりということを行なうことも有ります。 へたなGMならば、それこそ「そっちだめ」と言ってしまうでしょう。 これは通常のダンジョンでPCが壁に体当りをした場合と結局は同じことなのです。 うまいGMならば「君は力一杯、壁に体当りをした。ドスっという低い音が響き、 壁から砂が落ちる。しかし、なにも起こらず、君はあまりの痛さに 肩をかかえてうずくまってしまった」とかなんとか描写するでしょう。 これがへたなGMならば「だって、そっち壁だよ。そっち行けないよ」とか 言ってしまうでしょう。 また、うまいGMであれば、PCの状態を見て、モンスターを変える、 モンスターの数を変える、アイテムとして薬を出すなどなどのように ダンジョン内の部屋の状況を変えることも有るでしょう。 ヘタなGMならば、そんなことを気にせずにすますかもしれません。

さて、こう見てくると、結局、シナリオの根本にはダンジョンが存在するという 解釈も成り立ちます。 ダンジョン探索の場合であればシナリオというダンジョンは、探索対象の ダンジョンと一体になっていると考えれば良いでしょう。 物語指向では言わばダンジョンの順路が存在するのだと考えることもできます (GMによって、その順路の強制力は違いますが)。

え、さて、だからどうしたと言われても困るんですね。 まぁ、シナリオを作る作業のやりかた、あるいは シナリオの記述方法について、現在行なわれているであろう方法とは 違う方法が有るのではないか (いや、もちろん既にやっている人もいると 思いますけどね)、ってなことに関係してるんじゃないかとは思うんですが....


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