RPGを取り巻く問題

RPGは悪魔のゲームか?

RPGは、面白い遊びであるが、その内容から誤解を受けることもある。 さらには、その誤解(もしかしたら誤解ではなく、真実をついちることがあるかも しれないが...)がもとで、攻撃的な意見にさらされることもある。 その、攻撃的な意見の最たるものが、 アメメリカなどで言われている「RPGは悪魔のゲームである」という意見である。

もちろん、そのような攻撃的意見を言う人は一部であるかもしれない。 また、キリスト教国だからよけいに戦闘だとか、その他ゲームに登場する 悪魔だとか、あるいはPCがVampireであることなどに強く反応するということも あるのかもしれない。しかし、確かに「RPGは危険な、反社会的なゲームである」 と思われてもしかたのない面もある。

例えば、1回のセッションに最低でも1回は戦闘があるだろう。 まぁ、それだけならまだ良い。問題は、その場でかわされる会話だろう。 「くたばれ!」だとか「やった! 殺した!」とかいう会話を突然聞いたら どう思うだろうか?

こういう問題に対して、「時代劇だって同じように殺人が行なわれているのに、 何でRPGの方は問題になるのか?」という疑問も出てくるだろう。 確かに一見、これは「その通り」と思わせる疑問である。 しかし、ここでテレビなどとRPGとの決定的な違いを忘れてはいけない。 RPGにおいては、それらの殺りくはプレイヤーの意思によって行なわれて いるのである。おそらく、「時代劇の殺人は容認できるが、 RPGは容認できない」という人は、ここをついてくるのではないだろうか。 このような攻撃に対して有効な反論が有るだろうか? 遊びではあっても、プレイヤーの意思で殺りくを行なっているのだ。 これは、人間の持つ暴力的な性向の代替行為として、 日常生活における暴力的振舞いを減少させるかもしれない ([達人]には、そのようなレポートも有ると書いてある)。 しかし、プレイヤーの意思で殺りくを行なうことを問題とする人達は そうは見ないだろう。 プレイヤーの意思で行なうことなのだから、より暴力的な性向を強める 方向に働くととらえるだろう。 そのような人達に対して、「RPGは面白い遊びである」ことを説得させる 良い方法を、残念ながら私には思いつかない。

もっとも、そういう問題が日本でも起こっているかどうかは、私は知らない。 しかし、例えば公会堂などで行なわれるコンベンションの時、 何も知らないおばちゃんが、部屋の中からもれ出てきた「殺してやる!」 などという言葉を聞いたとしたらどうなるだろう? へたをすれば、その場所ではコンベンションを開けなくなるかもしれない。 まぁ、それだけですめば良い方だろう。悪い方に考えると、どこまでも想像できて しまう。 あるいは、誰かの自宅でRPGをやっていた時、突然息子の部屋から そんな言葉が響いて来た時、親ならどう思うか? とんでもないことになりかねないだろう。

もっとも、こんなことを考え始めて数年たつが、日本においては未にそういう 問題が起こったという話は聞いていない(海外ならいくらでもそういう例が有る)。 このような問題を思いつくのは、単に私が心配性だからというだけの ことかもしれない。

翻訳について

D&D、RuneQuest、トラベラー・シリーズなどなど、 多くの海外RPG(というかほとんどはアメリカ産RPG)が日本語に翻訳され、 出版されている。 そのことは非常に喜ばしいことである。 しかし、反面日本の一般RPGゲーマーには知らされないままに 行なわれている改変が有ることを知って欲しい。 その有名なものとして、Dark Conspiracyが有り、またGURPSが有る。 GURPSの方は、どこだかの誌上で、本家との違いを説明したことが有るという 話を聞いたことが有るような気もするが...

もっとも、ここではどのような改変が行なわれたのかを一々上げつらう つもりはない。ただ、そういう改変に対するユーザーの態度というか 立場というか、意見というものを考えてみたいと思う。

まず私個人の意見を挙げておく。 私は、原則としていかなる改変にも反対である。 もちろん、翻訳であるから、例えば英語から日本語に変わる。 しかし、ここではあくまで「翻訳」について言っているのであるから、 言語の変更について挙げ足を取るのはやめていただきたい。 私としても、日本語で読める文章の方がうれしいのだ。 また、「言語が変わる」ことと関連して、 「言語が変われば、細かいところのニュアンスなどにどうしても違いが出てくる」 などのような意見も有る。 これは正しい意見であるが、翻訳であるかぎりしかたがない。 もちろん、そのような問題をどのように乗り越えて、 原文のニュアンスに近づけるかということも、 翻訳者の力量を問われる部分である。

話を戻して、「原則としていかなる改変にも反対」ということを説明しておこう。 「いかなる改変にも」ということから、イラストを変更することも、 章立てを換えることにも反対である。 イラストを換えるのにも反対というのはちょっと厳しいと思えるかもしれない。 しかし、ルール・ブックにおいて、その雰囲気作りにおいてイラストも重要な 要素である。 それを変えるということは、言わばデザイナーの意図した世界に変更を加える ことになりかねない。 また章立てを変えるのはもちろん改変である。 文章の見た目そのものの変更は、翻訳によってどうしても発生してしまうものだから しかたがないとして、文や段落において原書の内容を、つまりは意味を変えてしまう のも反対である。 ここが微妙なところなのだ。先にも言ったとおり、言語が変わるということは、 どうしても微妙なところで違いが出てきてしまうものであろう (もちろん翻訳者の力量しだいだとは思うが)。 であるから、より正確に言うならば「意図せずに発生してしまう意味の変化」は 容認せざるを得ないものと思う。 また、イラストとは違うが、文字フォントの問題も有る。 もっともこちらはもうちょっと問題が複雑である。 特に飾り文字が問題となる。何しろ、日本語にはそういう書体は無いからだ。 飾り文字というのも、これまた雰囲気を出すのに良いものなのだが、 こちらに無いものはどうしょうもないのであって、これには目をつむらざるをえない。 更に言うならば、版組みもできれば変わらない方が嬉しいのだが、 こればかりは言語の違いからくる記述量の変化などを考えると どうしょうもないことがらであろう。 もっとも、できれば文庫本での出版はやめて欲しいのだが.....

しかし、どうしてこのような改変が行なわれているのであろうか? 出版社や翻訳者は、その理由として「日本のユーザーに合わせて」というような ことを言っているが(シャドー・ランの時に言っていたと思う)、 はたして本当だろうか? いや、彼らのその意見について異を唱えるわけではない。 その改変が本当に日本のユーザーのためになっているのかどうかが疑問だと思うのだ。 例えば、ガープスにせよ、ダーク・コンスピラシーにせよ、 アメリカでは多くのサプリメントが出ている。 しかし、ルールや世界の改変により、それらの多くのサプリメントを使えない、 もしくは使いにくくなってしまっている。 確かに、「日本のRPGゲーマーで英語のルール・ブックに手を出す人」は 小数かもしれない。 しかし、基本ルールだけでも翻訳されたことにより、 原書の方に手を出そうという人も表われているのではないだろうか? にもかかわらずそのような改変をしてしまうのは、 言わば囲い込みであり、原書での流れから切り離してしまうことになる。 これでは、サプリメントなどの翻訳にもより多くの時間がかかることには なりはしないだろうか? この囲い込みを商売上の戦略であると捕えれば、 彼らが言う「日本のユーザーに合わせて」というのは、かなり怪しいと思わざるを えません。

ちなみに、英国のFuture Publishing 社が出版しているarcaneという RPG誌の'96の4月号には、Paul Mason氏が日本におけるRPGシーンを 紹介していますが、そこにはPaul Mason氏がSteve Jackson氏に ガープス・リング★ドリームについて尋ねた時、 「Steve Jacksonはガープス・リング★ドリームを1度も見たがないと答えた」と 紹介されています。これは奇妙なことです。 いくら日本における独自展開とは言え、その基本ルールとしてGURPSを使用している からには、Steve Jackson氏もガープス・リング★ドリームがどのような RPGであるかを知っているべきですし、社のトップであるから原稿そのものを 見たことは無いとしても、Paul Mason氏は「ガープス・リング★ドリームの原稿を 見たことがあるかどうか」を尋ねたわけではないのですから、 ガープス・リング★ドリームを知っているのならばそれなりの返答が 得られるはずです。 これはもしかしたら極端な例かもしれません。 しかし、通常の翻訳においてもこのような状況であるとしたら、 そうである可能性が高いと思われますが (なにしろ、日本語を出来るスタッフがあちらに居るかどうかは はなはだ疑問だからです)、 翻訳は日本語訳についての版権を取った会社が好き勝手できてしまう ことになるわけです。 これは非常に危険な状態と言わなければならないでしょう。 もしかしたら、あなたは名前だけが同じで、まったく違うゲームを買わされる (買わされている)かもしれないからです。

現実問題として、翻訳原稿をアメリカの会社がチェックすることは 現在は不可能かもしれません。 RPGだけでなく、翻訳は基本的に翻訳者を信用して行なわれているようですし (つまり変な改変は行なわれないという前提に立っている)。 しかし、もしも日本において変な改変が堂々と行なわれるのであれば、 我々日本のユーザーは、はっきりとその改変が許可されたものであるかどうかを 原書の著者や出版社に確認するべきでしょう。 向こうがそれを許可しているのであれば、日本のユーザーとしても何も言えません。 せいぜい「私は原著のルールや世界の方が好きである」という意見を 送り、原書を買うの限度でしょう。 しかし、向こうがその改変を許可していないのであれば、 これは見ものになるかもしれません。

では、日本側のスタッフとしては改変を加えたい場合、 どういう方法を取るべきなのでしょうか? 私は、日本独自の変更や追加は、 そのようなサプリメントとして出版すべきであると考えています。 これは、出版時に改変を加えて出版するのと比べても、 スタッフの作業量はそれほど違わないはずです。 もしもこのような方法で、結局ユーザーにとってかなり高くつくようであれば、 その会社はかなりユーザーを馬鹿にした価格設定をしているということになります。