プレイ・スタイル: 技量向上に対する隠れ蓑

#. はじめに

さてと、プレイ・スタイルについていろいろと考えてみたんですが、 なかなか難しいですね。 「プレイ・スタイル」という概念は何となく分かるんだけど、 具体的に考えるとなるとどうも...

概略的に考えるなら、いわゆるキャラクター・プレイとロール・プレイ というのがプレイ・スタイルの2大潮流というふうに考えられるのかも しれません... しかし、いろいろと遊んでいるうちに、 プレイ・スタイルという名のもとに、 非常に未熟な遊び方もまた保存され続けているのではないかと 思えるようになってきました。

そんなわけで、ちょっとプレイ・スタイルというものや RPGの遊び方について考えてみたいと思います。

#. プレイ・スタイルの種別

もちろん、プレイ・スタイルと考えられるもの全てを私が 把握しているわけではありません。 しかし、私の経験を元に、帰納的および演繹的に考えてみると、 おそらくプレイ・スタイルを決定するいくつかの要素が有るように思えます。

1つめの要素は、RPGとはどういうものかの理解です。 2つめはプレイヤーの行動です。 そして3つめの、現時点では最後の要素が、PCの行動です。 2つめのものは、1つめのものに含められる (あるいは逆) かもしれません。 とりあえず、それぞれをリストしてみますね。 もちろん、このリストは完全なものではありえませんので、 皆さんからのご意見をお待ちしております。

  1. RPGについての理解
  2. プレイヤーの行動
  3. PCの行動

#. プレイ・スタイルの根源

プレイ・スタイルの違いは、おそらく個々のプレイヤーやサークルにおける 「RPGとはどういう遊びなのか」についての理解の違いによって もたらされる部分が多いのではないかと思います。 それに加えて個々のプレイヤーの資質や性格そして技量が影響し、 さらにその上でPCの行動として表われてくる部分が有るのだと思います。

さて、ここで問題になるのが、「RPGとはどういう遊びであるのか?」 という問題です。 上のリストでの「RPGについての理解」ってとこですね。 それぞれのプレイヤー (もちろんGMも含めて) は、 「シミュレーション・ゲーム的理解」、「創作的理解」、 「自己表現の場としての理解」のいずれも、それなりの割合で持ち合わせた 理解をしているものと思います。

ここで、「シミュレーション・ゲーム的理解」、「創作的理解」は、 おそらくはその中に自己鍛練(?)的要素なり欲求なりを含んで いるものと思います。 問題となるのではないかと思われるのが、「自己表現の場としての理解」 ではないでしょうか? これは、「演じる楽しみ」と関連する理解ですし、 問題の有るプレイ・スタイルに直結するわけでは無いと思います。 しかし、これまでの見聞に基づくかぎり、この「自己表現の場としての理解」と 言えそうなものが、ものの見事にプレイヤーの技量向上や、 RPGの可能性 (あるいはRPGとはどういう遊びなのか) の理解に ついての隠れ蓑になっているように思えます。

どういうことなのかと言うと、 「シミュレーション・ゲーム的理解」も「創作的理解」も より良い行動、より良い物語創作 (シナリオ面でもセッション面でも)を 求めざるを得ないように思うのです。 別の言い方をするなら、例えば囲碁や将棋などにおける「より強く」 という欲求と似た欲求をプレイヤーが自然と持つと思うのです。

例えば「シミュレーション・ゲーム的理解」であれば、 これはおそらく「パズル・ゲーム的な面白さ」とでも 言うような楽しみを追及することになるでしょう。 また、「創作系的理解」であれば、「鑑賞型の面白さ」 や「演じる楽しみ」という方向に行くのでは ないかと思います。

それに対して「自己表現の場として理解」の場合、 その場において自己表現ができれば良いという 殺那的な方向へ転び易いと思うのです。 いや、もちろん自己表現としても向上を求めることは可能なことは分かっていますが。

技量向上とは別の、 「セッションを成り立たせる」という視点から見てみましょう。 「シミュレーション・ゲーム的理解」、「創作的理解」ともに、 セッションが成り立たなければそれぞれの理解にもとづいたプレイを 行なうことはできないでしょう。 より良い行動も、より良い物語創作も、セッション有ってこその、 あるいはセッションの中で行なわれる行為だからです (GMのシナリオ制作のみを取り出すと、ちょっと違うかもしれないけど...)。

それに対して「自己表現の場としての理解」では、 セッションは必ずしも必要ではありません。 いや、セッションは必要かもしれませんが、 それは実際にはゲームとしてのセッションが必要というよりも、 人が集ること、自己表現のネタが必要であるということだと思うのです。 つまり、ゲームとは関係無いわけです。 もちろん、「自己表現の場として理解」しているプレイヤーの 全てが、そういう方向に転んでいるとは思いませんが。

さらに言うなら、「自己表現の場としての理解」をしている人は、 「セッションを楽しむ」のに対して、 「セッションをネタにプレイヤー間の会話を楽しむ」あるいは 「セッションをネタに自己主張 (自己表現) する」という 違いだと言えると思います (繰り返しますが、「自己表現の場としての理解」 をしているすべてのプレイヤーがそうだとは思いません)。

#. そこから、どういうプレイになるのか?

では、「自己表現の場であるという理解」をしているプレイヤーが どういうプレイを行なうのでしょうか? ま、これまた私の偏見が多分に入っているものではありますが...

ま、こんなところでしょうか?

もちろん、他の理解の場合でも問題は発生するものと思います。 例えば「シミュレーション・ゲーム的理解」の場合であれば、 以下のような問題が出てくるかもしれません。

あるいは「創作系理解」であれば、 次のような問題が出てくるかもしれません。

ただ、私の経験から言うと、これらの理解をしている人は、 「RPGって他の側面も有ると思うよ」の一言くらいで すんなり分かってくれる場合が多いように思いますが。 これはおそらく、真剣にそれらぞれの理解を考えていることによるの だと思いますが。

ここでまた問題となるのは、 「自分は {シミュレーション・ゲーム的理解 | 創作系理解}をしている」と 勘違いしている「自己表現の場として理解」している人達です。 彼らは、「勝つため」、「良い物語にするため」と思い、 結局は「自分がしゃべるため」というような行動を取るのです。 ですから、「RPGって他の側面も有ると思うよ」と言っても 結局それが理解できないのです。 そして、最後に持ち出すのが、「楽しければそれで良いんだ!」という 伝家の宝刀です。

#. 楽しければ良いのか?

私は「楽しければそれで良い」ということを否定します。

1つには、RPGはどうやっても複数人で遊ぶゲームであるからです。 つまり、自分一人が楽しめれば良いというものでは無いからです。

2つめとして、それが現在のRPGの衰退を招いたのではないかと考えている ためです。 つまり、「自分がしゃべる事が目的であるため...」というような セッションに参加して楽しみ続けることができるでしょうか? もしもそのプレイヤーが、そういう人であれば、継続していくことも 可能でしょう。 しかし、そうでないプレイヤーも多いのです。 シミュレーション・ゲームやその他、シビアなゲームから入ってきた 人は、RPGにもどこかシビアな要素を求めています。 物語創作系理解をしている人も、この点は同じでしょう。 もちろん「シビア」の指す対象は異なりますが。 そして、そういう人達が、いつもいつも変わりばえのしない、 単純なシナリオに我慢しつづけられるでしょうか?

つまり、「楽しければそれで良い」という理解そのものが、 RPGのプレイヤーを現象させ、日本製RPGの質の低下をまねき、 結局はRPGの衰退を招いたのだと思うのです。

では、「楽しくなくて良いのか?」という声が聞こえそうです。 私は「楽しむこと」そのものを否定しているわけではありません。 あくまで「楽しければそれで良い」という理解を否定しているのです。

楽しさと一口に言っても、その内容は多岐に渡ります。 分厚い小説を読み通したあとの楽しさもあれば、 駄洒落で笑う楽しさもあります (プロあたりの駄洒落は除外して考えてください。 プロあたりの駄洒落は、周辺との兼ね合いで、 まさに芸であることが多いと思います)。 囲碁や将棋、チェスに加え、そのほかいろいろなパズルなどに見られる 考える楽しさもあります。

なぜ、「楽しければそれで良い」という一言で、 それらの多岐に渡る楽しさを否定してしまうのでしょうか? 個人的には、その理由は分かっているつもりです。 つまり、「楽しむために苦労をしたくない」というやつです。 しかし、一言言いたい。「その苦労自体が楽しいのだ」と。 このあたり、本当に何かを好きな人には分かってもらえると思いますが。

#. プレイヤーの行動に関するプレイ・スタイル

というわけで、「理解に起因するプレイ・スタイル」が、 実際に目に見えるのがこの段階です。

基本的には上に挙げたリストのような感じになると思いますが。

このあたりになるとプレイヤーやグループの色として考えられるものが 有ります。ま、「プレイヤーのPCの分離」を除いてですが。

おそらくは、「プレイヤーのPCの分離」を除いて、 このあたりからプレイ・スタイルと呼ぶのが良いのではないかと 思います。

例えば、お笑い系の行動なりシナリオなりが中心のグループに、 シリアスな行動なりシナリオなりが好みのプレイヤーが 入ったらちょいと悲劇かもしれません(逆でもね)。

#. PCの行動に関するプレイ・スタイル

えと、これについてはまぁ言う必要は無いと思います。 PCの行動としてきちんとできるのであれば、 それがどういうプレイ・スタイルであっても横から口を出すものでは ないと思うからです。

ま、グループ内で浮いてしまうことはあるかもしれませんが。

#. プレイ・スタイルという障壁

というわけで、偏見一杯ですが、 プレイ・スタイルという名のものに言われているものをいくつか 考えてみました。

さて、ここで問題です。RPGのプレイヤー達は、本当にいくつもの グループでのセッションに参加していますか? 私が思うに、多くのプレイヤーは1つのグループでのセッションにしか 参加しないのではないでしょうか? (例外はもちろんいます。)

では、なぜそうなるのか (いや、そうと決ったわけじゃないんだけど...) ... ということで考えてみるとプレイ・スタイルというのが これまた問題になっているのではないかと思うのです。

シリアスな人がお笑いのセッションにはあまり入りたくない (逆でも同じ) というのは分かります。 RPGをシミュレーション・ゲームと考えている人が、創作系のセッションに あまり入りたくない (逆でも同じ) というのも分かります。 まぁ、好みの問題ですからね。

しかし、このようにプレイ・スタイルは、ある意味でRolePlaying Gamer 間の 交流の阻害要因になっているのではないでしょうか? 個人的には話をするかもしません。しかし、互いのセッションに参加することは あまりないわけです。

これも、RPG衰退の大きな原因の1つではないかと思います。 つまりplayer数はそこそこいるかもしれないけれども、 互いの連携ができない。 あるプレイ・スタイルに基づいた情報を出してもその他の人々にとっては ゴミでしかない。 ある意味で、遊び方の先鋭化が起ってしまったがための自滅状態とも 考えられるでしょう。

ですから、プレイ・スタイルにこだわらず、より広い視野をもって RPGを遊ぶ必要が....あ、「自己表現の場と理解」している人は (だから、全部を指しているわけじゃないですからね)、 もっとちゃんとRPGを遊ぶようになってもらうところから はじめなきゃだめなんですけどね。

#. ちょっと(多分)別の視点から見た場合

-- RPGの楽しみ、もしくはセッションに参加する楽しみの起源 --

うまくまとまらないんですけどね... 上に書いたプレイ・スタイルとも関係するし、 【RPGの楽しさについて(あんな面、こんな面)】とも 【RPGに何を求めるのか】とも 関係するし。

どういうことかと言うとですね、 セッションに参加する目的 (?)という面から見ると、 プレイヤーには (RPGのプレイヤーではなくて、 GM とプレイヤーの対比における プレイヤーね)、 もしかしたら大きく2種類いるのではないかと思い始めています。 というか大きく2種類に分けるための要素が有る...というほうが正確だな。

1つはシナリオを楽しむというプレイヤーで、 もう1つはそのRPGの世界に自分の分身であるPCが存在すること もしくはその世界でPCが活躍することを楽しむプレイヤーです。

両者がどう違うかと言うと..... 「シナリオを楽しむ」プレイヤーは、そのシナリオがパズル的なものであれ、 ストーリー・テリング的なものであれ、 そのシナリオのセッションを楽しむのが目的となります。 それに対して、「その世界にPCが存在することを楽しむ」プレイヤーは、 シナリオ云々よりも、とにかくその世界にPCが (もしかしたら自分が) いると想像することが楽しいわけです。 おまけに言えば、単に想像するだけでなく、自分お起こしたアクションに対して 何らかのリアクションが帰ってくると、ますます「その世界にPCが存在すること」を 実感できて楽しめると。

だからどうした...ってとこまでは、まだ考えがまとまっていないんですよ。 Role Playing Gameとしてはどちらが正しいっていうのは、たぶん無いんだと 思いまさす。 ただし RPGを ゲームであるととらえるのであれば、おそらく前者が正しく (もしくは成立しやすく)、 RPGを RolePlay の場であると考えるのであれば、おそらく後者が正しく (もしくは成立しやすく) なるのではないかとは思うのですが。 これは、「なりきり」の問題と関係するのかもしれませんね。

最近は、 FreeForm どうのこうのというのが海外でははやりのようです。 FreeFormというのが具体的にどういうものかは、まだ勉強不足で 把握しきれていません。 ただ、この FreeForm という用語のように、 あるいは Computer RPG や Pencile & Paper RPG や Table-Talk RPG などに おける「Freeform」とか「Computer」とか「Pencile & Paper」とか 「Table-Talk」という接頭辞のように、 いわゆるPencile & Paper RPG もしくは Table-Talk RPG も、 それを遊ぶ目的に合わせて、新しい接頭辞をつけるようにしたほうが 良いのかもしれません。 上で書いた「シミュレーション・ゲーム的理解」とか「創作系理解」 というのもそれなりの接頭辞を付けたほうが良いのかも...

そうした場合、どのような遊びかたもしくは遊ぶ目的が考えられ、 そしてそのそれぞれにどのような接頭辞が考えられるでしょうか?

#. まとめ

んー、プレイ・スタイルと良いつつ、なんだか偏見一杯の 文章になってしまいました。

いま一つまとまりも良くないし...

ともかく、とりあえず考えたという段階ですんで、 ご意見などをお待ちしております。